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心の壺

昨日から、牛すじを煮込んだりして、季節外れの「おでん」を仕込んでいます。

 

そういや以前に「美の壺」というテレビ番組を見ていたら、おでんの巻でした。

 

そこで取り上げられてるお店の主さんが語っていたのですが、おでんの味の要(かなめ)って実は何だと思います?

 

牛すじとかカツオだしとか昆布だしとか、色々ありますけど。

 

それ実は「練り物」なんだそうです。練り物からしみ出る成分の質、そしてその原料が出来を決定的にしてしまうんだそうですね。意外じゃないでしょうか?ぼくはかなり意外だったです。

 

 

 

こんな風に思いもよらないことが、何かの要になってることってあると思うんですよね。

 

例えば集団の中で意外に目立たない存在、マイノリティに近い存在がキャスティングボートを握っていたりしますね。一部のクレーマーの力で素敵なCMやアートがお蔵入りになったり。政治の世界でもそうです、少数の政党の動向が国を左右したりします。

 

ぼくたちの心の中でも、実は「少し弱い部分」や「子供っぽい部分」「異性っぽい部分」などの、普段自分が意識の下に沈めがちな存在が飛躍や問題解決の鍵を握ってるんだと思います。

 

そうしがちからこそ、時に「悪さ」もするし、どうにもこうにもコントロールしづらいというか。でも、無視をせずに味方につければ自分が増殖して、何人力にもなりそうな気配です。

 

 

 

その意識できていないことをに陽を当て、クライアントが見つめることのお手伝いをしているのが、コーチの役割でもありますね。

 

その意識できないことの多くは、現実の問題となって姿を見せることが多いようです。それは一朝一夕に和合や理解ができるものではなく、ほんとうに長い歳月をかけて少しずつ統合されていきます。

 

いろいろな問題があるかもしれませんが、焦らないでくださいね。ぼくも、そういうのなんぼでもありますし、まだまだ旅の途中です。

 

 

 

美の壺ならぬ、心の壺。全ての人の心の器に、誰も知らない「練り物」がまだまだ隠されているんだろうなと思ってます。