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自由に咲くこと

世界には数え切れないくらいの花があって、咲く時期も咲き方もそれぞれで。同じ種類の花でも各自勝手に自由気ままに咲いているように見える。ときどき、羨ましいなって思う。

 

だって日本の社会や組織で生きていると、同じように生きて同じような考えで動いて、人と合わせないと良しとされないことが多い。お上の言うことに右にならえ的な。

 

 

 

和、それは自然災害の多い国で協力しあって生き残っていくための知恵だったと思うから、そう簡単なことじゃなく敬意を示すべきことだとも思う。素敵なことだとも思う。

 

ただ、それだけでは組織や集団というものは生命力を失っていくし、腐っていくものだと思うんだよね。

 

 

 

ひいて言えば全滅してしまうこともあるんだよね。一億玉砕みたいな、戦時中みたいなものじゃん。ある種独特な違う視点を持っていて「これはまずいんじゃないか」とか「上は間違ってる」とか、ひいてはそういうトリックスター的な人って、必要なんだよね。

 

そしてぼくは、そっち側の人間ですけど、なかなか組織に馴染めないんですよね。学生時代は教師に刃向かって叱責されることなんて多かったし、サラリーマン時代なんかは上司と喧嘩することも多かったな、と思います。

 

 

 

そういうのって、損な役回りに思えるかも知れないけれど、自分は自分で生きる、っていう人が社会の中に一定数以上居ないとだめなんだと思うんだよね。

 

イエスと言うだけじゃなくって、ノーと言う。ときにユーモアを持って場を和やかに持っていったり、人間は社会に対していろんな貢献の仕方があると思うんだ。

 

 

 

最近のスピ・心理業界では「自分らしく」が自己実現宗教みたいになってて嫌なんだけれど、あれってなんだか社会的な視点が欠け気味なような気がして。なんとなく人工的なこじんまりとしたもので、野太さがないような気がして。

 

そういうの抜きにして、野花のように自由に咲き誇って生きる。そういう人は、大きな視点で必要だしそれでとても素晴らしいと思う。