大震災の割りとすぐ後にかの地を訪れる機会があった際、とある市役所の建物に「がんばろう東北、がんばろう日本」っていう巨大な垂れ幕が吊るしてあったんです。
その気概は痛いほど伝わるのですが、それを目にして「なんか違うな、嫌だな、これは」とどうしても思えてしまいました。
その違和感って何なんだろう。
理由は色いろあるんでしょうけれど、あとでひとつ気づいたのは、「無理がある」と思っていたんだろうということ。
あのときにもう少しだけ必要だったのは「がんばろう」ではなく、「クヨクヨ落ち込んでてもいい」っていう心構えだったんじゃないかな、と思えました。
正しく知る心的外傷・PTSD 水島 広子さん (著)には、以下のように書かれています。
「くよくよ」考えるってネガティブなイメージを持つかもしれませんが、その出来事を何度も思い出すことで、その記憶に慣れていくという作用があるんですよ!最初のショックは大きくても、慣れが進むとそれほど強い感情が湧かず、いろいろな角度からその出来事を見ることができるようになります。
(引用おわり)
上司に嫌味を言われたり、家族に詰問されたり、先生に叱責されたり、顧客にめちゃくちゃ言われる、なんて、実はけっこう心の震災、かなりショックなことなんだと思います。
よくあるのが、仕事がお休みの日なのに、前の日に仕事であった嫌なことをぐるぐる考えてしまうっていうのがあります。
そんなときは、気分転換もいいけどあえてクヨクヨしてみることを自分に許してみて。
きっとそのほうが心の回復は早いはずで、そうしながら心が復活したら、休みをエンジョイできる力が湧いてくるはず。
本当の強さって、折れないことではなく、しなやかな心だと常々思います。
それは、必要な揺れを感じられること。それはまるで、心の耐震構造。
たとえ落ち込んでも、しなやかに自分に戻ることができればいいんじゃないでしょうか。
台風のあとに大木の幹が折れていたとしても、その根本に生えている小さな野花はびくともしていなかったりするように。